サクタのデブリ

社会不適合者の独り言

サクタという人間

気が向いた時に書いているので更新の間が大きく空く。
そもそも継続的に更新するつもりはなく、数ヶ月程経って何か状況が変わっていたら書く程度のつもりでいる。

さて、今回は私という人間は今どんな立場であるのかを明確にしておこうと思う。


現在は23歳で、関東にある理工学系の大学院に通っている。サクタとしてはこれが最も意味のある情報だろう。
大学に進学した理由は二つで、「勉強がしたいから」と「モラトリアムを延長したいから」である。就職とかキャンパスライフとかいったマトモめいた理由は無い。
一方、大学院に進学した理由はというと、「モラトリアムを延長したいから」である。
そう。この間に何か心境の変化がある。
いや、正確に言えば、大学受験を終えた時点で心境の変化があったのだ。
これについては後々記そうかと思っている(あまり大したことではないのだが)。

一声で言えば、人生を諦めている。
より良い人生を送ろうなんて気力は起きない。
もっと言えばさっさと死にたい。
これは「鬱だ死のう」とかいう感傷的なものじゃなく、ただただ「この人生は失敗したからここらで投了しよう」ぐらいのモチベーションである。
今後生きてても幸せがつらさを超えることはないだろう。
病んでもいない、打算的な自殺願望なのだ。

だが、自殺は選択肢に入らない。何故か。
家庭環境がフツーというか、並以上なのである。
両親は私にある程度の期待をしており、大学院まで何不自由しないほどの投資をしてくれているし、多分私が死ねば悲しむんじゃないかと思う。
この恩が返せていないのだ。ぶっちゃけ返せる見込みも無いのだが、返せていないのは確かで、ここで自殺するような権利が私にはない。
だからある日突然暴走車でも突っ込んできて事故でやむなく死にたい。
そんな都合の良いことも起きずにだらだらと生きている。

人生諦めてる理由は大したことではない。
社会に馴染めないのだ。
まだ社会にも出ていないくせに、とかは全くその通りである。
しかしここまで擬似的に社会を体験してきてこりゃダメだと思った
何かにつけてマイノリティ側なのだ。
特に、幸せを感じる物事と、逆に不快な物事。これが人と違うことが多々ある。
これはマジョリティ側の人間にはとても理解できないであろう不利なのだ。
皆が嬉々として行うことに付き合うのが苦痛で、付き合わなければ罵倒を受ける。
一番わかりやすいのは「飲み会」だろう。
たぶん社会でなんとか生きてる人は、ここで苦痛を受けつつも我慢し、溶け込むふりをするんだろう。そういう人はたくさんいるんだろう。
これを私は不利だと思う。

私はここまでの人生は少なくとも、自分を偽り、隠れて苦痛を感じながらも場に馴染む必要など無いと考え、飲み会等は参加しない方針をとっている。
大学も、研究室も、バイトも、一時的な付き合いでしかないのだから、という考え方で。
しかし今研究室で非常に立場が悪くなっている。
奴らが楽しんでる中で一人苦痛を受けながらも飲み会に参加しなければ立場が悪くなるのだ。
私は何も彼らに対して害を与えたわけではない。ただ輪に入らなかっただけだ。にも関わらず明らかに彼らから害を与えられている。
「世の中そういうもんだ」とかいう分かったふりをした説教は聞きたくない。
世の中がそういうもんなら世の中異常だし、その異常の割りを食うのは私だし、割りを食うのはたまたまマイノリティに育ってしまったからで、だからこの人生は失敗したと言えるし、さっさと死にたいのだ。
生きようと思えば多少の我慢と引き換えに生きられるが、別にそこまでして生きたい理由なんてどこにもないのである。


生きたい理由が無い、何に対してもやる気がないことについては特に原因が分かっていない。
肝心のところが謎なのだ。
今の人格を形成するに至るまでの昔話などを書こうなどと思っていたがよくよく考えてみればここが私の人間としての最大の欠陥にも関わらずここの原因がわからなければ書く意味がない。このブログは早速暗礁に乗り上げた。
とりあえず次の記事で近況について語るついでに少し詳しく語ろうと思う。


長くなってしまったがこんなところだ。
それほど特別不幸な立場でもないのに未来になんの希望も持ってない、そういう人間である。