サクタのデブリ

社会不適合者の独り言

サクタの今

今回は去年度に入ってからの話をしたいと思う。

元々あまり将来のことは考えずに生きてきた。
小学校の頃は漫画家になりたいだの、研究者になりたいだの言っていた気がする。
中学で中二病を患い、具体的な見込みの無いことは口に出さないようにして以来、なんの見込みもないまま今に至る。
大学の間には決めなければな、と思っていたのだが、大学の間に「人生どうでもいい感」が強まってしまい、一切何も考えずに院まで来た。
強いて言えば「ダラダラ博士まで行って、就活の前に自殺したいな」ぐらいに考えていた。
が、院に入る直前に心境の変化があり、それがこのブログを用意したきっかけだ。

研究室は最初の頃こそ順調に見えた。
研究室のメンバーは一人の博士課程がクドクドとした老害であったが、それ以外は概ね話の通じるやつが多かった。
多少「用事がなければ行かない」傾向があったものの、基礎の勉強のための課題は同期で真っ先に終わり、その質も最も高かったと思う。
(研究室には基本的に毎日顔を出すのが普通)
同期がザコすぎたせいもあって同期でトップの成績を持っていたお陰で大学の金で海外にも行った。
卒研の内容は上から落っこちてきた、巨大な実験の末端要素のものだった。
この時の私は「考えなくて良いし楽だ」ぐらいに考えていたし、今もそう思う。
しかし、そこですっかり研究に対する興味を失ってしまった。
実際に携わりたいわけではなかったのだ。全く面白いと思わない。
ここで卒研が自ら考え、主導する類のものであったら何か違っていたかもしれないが、そうであってほしかったわけではない。
とにかく、結果として研究に興味が無くなった。
卒研は実質上早くに終わり、同期が3月まで続けている中、私は1月にはほぼ終わっていた。
その後は月金以外は研究室には行かず、気が向いたときに少しずつ卒論を書いて生活していた。
勘違いしないでほしいのだが、研究室に行かない代わりに何かをしていたわけではない。
毎日「こんなんで本当に大丈夫なのか・・・」と思いながら時間を無為にしていた。
自殺する予定の人間に大丈夫もクソもないのだが。

余談だがこの間、やる気の無さに本当に悩んだ。
月曜日に研究室の進捗報告会があるのだが、起きた瞬間めんどくさくなってこれを放棄、二度寝。(さすがに自分が報告する立場の場合は起きるが)
仮病を使ったこともあるが、後の方は頻度が上がりすぎてそんなものは無くなった。
金曜日も夕方に別の進捗報告会があるが、これもギリギリに着くことが多かった。せっかく研究室に行くのだから少し早めに着いて「やる気あります」アピールをした方が得だと思いつつも早く起きられなかった。
真っ当な人間なら学校の授業などは遅刻・欠席したこともあるだろうが、私は逆である。授業は遅刻も殆どしたことがない真面目"風"の人間だったが、ここにきてもっと重要なところをサボるようになってきた。
更に、院試の申し込みを忘れていて締切前日に教授に言われて気づいたり、院の入学申し込みも封筒を開けるのがめんどくさく、たまたま気が向いて開けたのは締切前日であった。このへんはもう人生に関わる。
当然、他にも何か締切があればそれをギリギリで破っていた。気分が乗ったときに済ませようと思っていると忘れるのである。5分で済む申し込み等をだ。
挙げ句の果てにはバイトを忘れた。忘れるにしても、塾講が、2月に、バイトを忘れるというのは・・・親御さんには愛想を尽かされ、生徒もどこか他人行儀であった。4年間見てきた生徒だったのでクズなりにショックを受けた。このバイトを続けてきたのもこの生徒を最後まで見ようと思ったからであり、こんなミスで台無しにしてしまう自分に驚いた。
結局やる気がないのだと思う。人生既に失敗したと思っており、将来に希望が無いから人生に関わることまで平気で忘れるのだ。
ちなみに今のところ友人と遊ぶ約束等は完全に忘れたりはしていない。(起きる時間を1時間間違えたりはしている)


何はともあれ、この酷くぬるい卒研生活の中で私はこう思った。
興味の無いことを続けて金も得られないこの生活を博士課程まで続けることはできない、自殺しない場合は修士をとったら就職しよう」
こうして晴れて就職するつもりであることだけは決まったのである
めでたしめでたし。




―――――4月。既に研究に興味がない。
しかも卒研の内容で一段落しているので、(関連した研究こそいずれ落ちてくるだろうが)今はやることがない。
木金に授業をとっているので卒研時代よりは研究室にも顔を出すが、やはり火曜日は寝て過ごす。
研究室に顔を出して「いますよ」「やる気ありますよ」というポーズをとっていてわかってきたのだが、こいつら研究室に居るには居るが建設的なことは殆どせずにだらだらとお喋りしているだけではないか。
こんなやつらに合わせて「空気的に早く帰れない」など馬鹿げている。
結局早めに帰る形に落ち着いた。
多少ゼミの予習や授業の課題などを研究室で進めて「いますよ」ポーズはとっていたが。

なお前述の博士課程の老害は卒業していなくなったのだが、新たに博士課程に進む予定の修士2年がクドクドとした老害と化した。
ジャイアンを消したらスネ夫ジャイアン役になったのと同じであると言えば分かるだろうか。
こいつが本当にクドクドしている。必要の無い部分に妙に拘り、それを基に見合わない成果しか得られない作業を押し付けてくる。
分かるよ。博士課程に進むんだ、「自分が学生を教育した成果」や「研究室を主導できる自分」を教授に見せたいんだろう。
分かるが、付き合わされる方は堪ったもんじゃない。
前年度にいた別の老害(博士課程)は必用以上にクドクドと今結論の出せないことについて同じ事を繰り返すものの、その指示は的を射ていた。
今年度の老害(M2)は彼ほどの実力が無いのに彼の雰囲気を真似てきているから本当に厄介なのだ。
成果の見合わない作業の指示を出すこいつは、私の中で「敵」となった。
今まで輪に入りこそしなかったがついに明確な敵までできてしまった。これ以降の研究室生活は耐久でしかない。
他にもブラック研究室である話は5月いっぱいまで書けるのだが、完全にあちらが理不尽なことを書いてもただの愚痴にしかならないので書かないこととする。

8月下旬、ようやく修論の方向性が決まった。
それまでの間は決まってないのをいいことに何もせず時間を無為にしていた。
なお9月上旬の現在、その修論の研究のための勉強はほとんど進んでいない。
理由は単純、やる気が出ないのでやっていないのだ。
(自分の研究とは殆ど関係無い作業をやらされているというのも一応理由としてはあるが)

博士課程はともかく修士課程を卒業できないやつの話はあまり聞かないのでタカを括っている。
だいたい私はいざとなったら責任など投げ出して自殺してしまえと考えているので色々怖くないのだ。
今後どうなるのだろうか。